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バレンタインデカレンジャーロボ

昨日、落語と講談と浪曲をいっぺんに楽しめる出張寄席なるイベントに行ってました。

 

落語は好きでよく聴くのですが、講談とか浪曲ってなんとなく敷居の高いコンテンツだなと感じていたので、まぁ落語だけでも楽しめればいいやと思って行ったのですが、正直、その日は講談と浪曲のあまりの面白さにヒィヒィ言わされた気分でした。

 

「発達障害の女の子とのバレンタインデーの思い出」という内容の講談と、「肉体労働者の昼休憩の様子」という内容の浪曲を続けざまに観たのですが、講談、浪曲共にノータッチの僕でも明らかに一般的な演目ではないと一瞬で理解出来る内容でした。

 

ざっくりとした内容だけ聞くと、とてつもなくブラックなお笑いのように響きますが、どちらとも老若男女問わず楽しめる暖かいお笑いでした。講談の方に至っては、お笑いというよりはハートウォーミング講談だったので、終盤にかけての一龍斎貞寿さん(講談師の方のお名前です。ちなみに女性です)の熱演に僕は涙をヒィヒィ堪えていました。

 

そんな講談を見て僕は小学生の頃のバレンタインデーをふと思い出しました。

 

あれは、小学校3、4年の頃でしょうか、当時はまだメガネもかけてなく、ヒゲも生えていなく、声変わりもしていなかった僕は、「室内で上着を脱ぐ」という概念が頭の中にない子供だったので、MA-1崩れみたいなジャケットをもこもこに着込んだまま、その日も授業を受けていました。

 

その放課後、その日はバレンタインということだったので、もしかしたらチョコもらえるかもという予感が何と無く頭の中にあり、小学生なりにもそわそわしながら帰宅の準備をしていたら、当時はまだ「明るい」というパブリックイメージがあった僕に何やら少し大きな小包を渡してくれた女の子が一人いました。

 

その年のバレンタインデーは最終的に、クラスの全員にチョコを配っているというありがたい女子の存在があったおかげで、片手で数えきれるほどにはチョコをもらえたのですが、個人的に何か小包を渡してくれたのはその女の子だけでした。当時の僕はまだ「本命」「義理」という言葉を知らなかった上に、個人に少し大きな小包をプレゼントするということが、どういった感情を伴っての行為かをよく理解していませんでした。10年以上経ってヒゲメガネになった今の僕の感覚とボキャブラリーがあったなら、「これは本命チョコだ!」と大はしゃぎして警察のお世話になったことでしょう。ですが、それは厳密にいうと「本命チョコ」ではありませんでした。家に帰って小包を開けてみるとそこに入っていたのは

こげぱんのぬいぐるみでした。

 

(画像はネットで拾いましたが、まさにこれです)

 

こげぱんのぬいぐるみ???????????????

 

当時、ケロロ軍曹やらしろたんやら、丸くて可愛いものが好きで、なんならそれを公言し、それが僕のキャラクターの味付けになればいいと思っていて、こげぱんも大好きなコンテンツの一つだったために「こげぱん好きキャラ」をほんのり定着させようとしていた節がなくもなかったのですが、まさかこんなにダイレクトに反応が来るとは思ってもいませんでした。嬉しい反面、どこか信じられない気持ちもあり、「これはどうすればいい」と母親に相談をしましたら、母親も相当驚いていたようでした。幼少期にがっつりとキリスト教育で育ったので優しい子である事は我が子ながら感じていたのでしょうが、びっくりするくらい女子にモテないことも同時に知っていたので、もしかしたらその驚きは当人以上であったかもしれません。

 

結局、ホワイトデーは母親の出費で何やら箱に入った立派なクッキーを買い、それを持ってお返しとしました。ここまで書くと小学生でも何やら仲に進展があっても良さそうな気がしますが、結局その女の子との思い出はそれっきりで終わってしまいました(あとなんか水泳の授業の着替え中にその子に僕の局部を見られたというような記憶がぼんやりとですがあります。間違っていたらごめんなさい)。

 

これは大人や大学生でいう「やれたかも」エピソードに近い気がします。当然、登場人物は全員小学生なので性欲のせの字も知らない頃のお話なのですが、それを加味しても当時の僕は幼稚でした。小学生ということを更に加味してもえげつないくらいの幼稚さでした。

 

もう、幼稚を超えて多分アホでした。

 

こげぱんをもらったという衝撃からある程度落ちついた僕は、こげぱんの腕や足に当たる突起を内側に引っ込めさせて(ぬいぐるみなのでそういうことができました)、その引っ込んだ部分にトミカをあてがって遊んでいました。

 

これはどういうことか説明いたしますと、当時放映されていた戦隊モノのロボットが、5台の車やら飛行機やらが合体して一つのロボットになるというものであり、そのロボットの腕に当たる部分がかなり車の形状を残しつつも腕として機能していたのを見て、こげぱんでそれを再現したのです。

多分、イメージとしては上の写真です。

 

こういったことを、もう小学生の少年がかなりの小声で「合体」だの「変形」だのボソボソ言いながらやってるの、当時は気づけなかったのですが、かなりやばいガキだったと思います。テレビゲームの類をあまり買ってもらえなかったので、周りの子供達より「娯楽」のレベルが数年遅れて育ってしまったのかもしれません。当時の僕は友達の家に行った時、友達がバイオハザードなどのちょっと怖めのゲームで遊んでいるのを見て信じられないくらいのカルチャーショックを受けたりしていました。これ、子供がやるゲームじゃないよと子供心に思っていました。

 

そう行った意味では、僕は娯楽物に関する感性が発達しきっていないのかもしれません。そこに発達障害の少女と自分の姿を重ねていたのかもしれません。

 

いや、そうでもないか。そうでもないです、すみません。ハッピーバレンタイン!